原発訴訟の担当裁判官(考察)

原発訴訟で原告(住民側)が敗訴する原因

最高裁判所機構図.png(※左は、最高裁判所機構図)

最高裁事務総局が人事で裁判官を統制

概略

  • エリート裁判官に共通の経歴は、東大卒か京大卒で、裁判官としての初任地が東京地裁であること
  • エリート裁判官養成の一環として、判検交流(裁判所と法務省の人事交流)がある(法務省刑事局付などのポスト)
  • エリート裁判官の“三冠王ポスト”は、最高裁事務総局勤務、最高裁調査官、司法研修所教官の3ポスト

解説

つまり、登石裁判長の判決は最高裁の刑事裁判に対する考え方を具現化したものにすぎないというわけだ。確かに、“ヒラメ裁判官”という、常に上の様子ばかりをうかがう裁判官がいるのも事実だ。登石裁判長も“ヒラメ”なのか?
そこで、登石裁判長の経歴を調べてみた。というのは、筆者は09年秋、『週刊プレイボーイ』で「日本の司法をダメにする『最高裁事務総局』の正体」と題した記事を4回にわたって掲載。全国の裁判官の人事権を握る最高裁事務総局の「裁判をしない裁判官」、つまり「エリート司法官僚」によって裁判官統制が行なわれ、現場の裁判がゆがめられているのではないかと指摘した。
裁判官といえども人の子。地方の裁判所より東京など大都会の裁判所に勤務したいし、出世もしたい。そうした心理をうまく利用し、暗黙のうちに最高裁の意に沿うような裁判官を育て、それが刑事裁判においては検察側の主張を追認し、一審での有罪率ほぼ100パーセント、さらに数々の冤罪を生み出しているのではないかと指摘したのだ。
では、登石裁判長の経歴はどうなのか……。東大卒。横浜地裁判事補を皮切りに岡山や札幌などでの裁判実務経験がある一方、「法務省刑事局付」や「司法研修所教官」の経験があることがわかった。裁判所と法務省の人事交流は「判検交流」といわれ、エリート裁判官養成の一環といわれる。しかも登石氏は司法研修所教官の経験も持つ。
『司法官僚 裁判所の権力者たち』(岩波新書)などの著書がある元千葉大学教授の新藤宗幸氏が語る。
「エリート裁判官にはほぼ共通した経歴があります。まず、東大卒か京大卒で、裁判官としての初任地が東京地裁であることです。登石裁判長の初任地は横浜地裁ですから超エリート裁判官とはいえないにしても、一応エリートの道を歩いていることがこの経歴からわかります」
また、 『裁判官幹部人事の研究』(五月書房)などの著書がある明治大学政治経済学部の西川伸一教授は次のように語る。
「最高裁事務総局勤務、最高裁調査官、司法研修所教官の3ポストはエリート裁判官の“三冠王ポスト”といわれています」
特に、全国の裁判所の予算や人事など「司法行政部門」を牛耳る最高裁事務総局勤務の経験は、その後の裁判官の出世に大きな影響を与えるとされる。
「裁判官としての経歴の早い段階で事務総局に抜擢するのは、特定の人間をピックアップしてエリート養成を図るのが目的だと考えられています。事務総局に抜擢されるような裁判官は確かに優秀。ただ、上の覚えがめでたいというか、上意下達に対して基本的には異論を差し挟まないような性格の人間が多いと聞いたことがあります。つまり、最高裁事務総局を頂点とした司法官僚機構が出来上がっていて、そのなかをうまく這い上がっていった裁判官が重要なポストに就き、全国の裁判所を支配しているのです。これでは、裁判官は検察など行政権力から独立した存在という意識が希薄になってもやむを得ないでしょう」 (前出・新藤氏)
裁判所といえども、結局は検察と同じ官僚機構・権力機構であり、エリート意識に支配されている点では同じということだ。

原発訴訟を担当した裁判官のうち、上記のキャリア法則が当てはまる人物

  • 涌井紀夫(「東海第二原発設置許可処分取消請求訴訟」の東京高裁裁判長)⇒1966年 東京地裁判事補任官,1976~1983年 最高裁行政局,1984~1988年 最高裁人事局給与課長,1992~1993.11.3 最高裁上席調査官,1993.11.4~1998年 最高裁総務局長,2001.2.21~2002.9.17 司法研修所長
  • 塚原朋一(「女川原発1・2号機建設・運転差止め請求訴訟」の仙台地裁裁判長)⇒1970.4.8 大阪地裁判事補任官,1983.4.1~1988.3.31 最高裁裁判所調査官
  • 市村陽典(「志賀原発1号機建設・運転差止め請求訴訟」の金沢地裁裁判長)⇒1976.4.9 東京地裁判事補任官,1983.4.1~1985.3.31 最高裁行政局付(東京地裁判事補・東京簡裁判事)
  • 片山良広(「泊原発1・2号機建設・運転差止め請求訴訟」の札幌地裁裁判長)⇒1975.4.11 大阪地裁判事補任官,1978.7.1~1980.3.9 最高裁総務局付,1980.3.10~1982.4.18 最高裁広報課付,1988.4.1~1992.4.2 司法研修所教官,1999.4.1~2001.6.30 検事(※判検交流?)
  • 小野憲一(「大飯原発3・4号機運転差止め仮処分」大阪地裁裁判長)⇒1984年 東京地裁判事補任官,1997.4.1~2002.3.31 最高裁判所調査官
  • 田中健治(「大飯原発3・4号機定期検査終了証交付取消請求訴訟」の大阪地裁裁判長)⇒1989.4.11 大阪地裁判事補任官,1994.7.11~1996.7.31 最高裁行政局付
  • 林潤(「大飯原発3・4号機&高浜原発3・4号機運転差止め仮処分」の福井地裁裁判長)⇒1997.4.10 東京地裁判事補任官,1999.4.1~2001.7.31 最高裁民事局付(東京地裁判事補)
  • 西川知一郎(「川内原発1・2号機運転差止め仮処分」の福岡高裁宮崎支部裁判長)⇒1985.4.12 東京地裁判事補任官,1988.8.1~1991.3.31 最高裁行政局付(東京地裁判事補),1996.4.1~2001.3.31 最高裁裁判所調査官(東京地裁判事),2011.4.1~2013.3.31 検事(大阪国税不服審判所長)

最高裁事務総局が「会同」で 判決を誘導

概略

  • 1976.10月の裁判官「会同」で、最高裁事務総局行政局が「原発で排水管の破断などの事故が起こる確率は極めて低い」との見解を示す
  • 1988.10月の裁判官「会同」で、最高裁事務総局は原発訴訟の審理について「専門技術的な知識を持つ行政庁のした判断を一応尊重して当たるべきではないか」との見解を示す

解説

76年10月、行政訴訟に関して全国の裁判官が集まる「会同」が開催された。会同とは裁判官が裁判実務に関して意見交換をする場のことで、このときは原発訴訟における「原告適格」の問題が議論された。そして、最後に最高裁事務総局行政局の担当者は次のような意見を述べた。「原発で排水管の破断などの事故が起こる確率は極めて少ない」
この意見表明について、前出の海渡氏は次のように批判する。「原発訴訟において、事故が起こる確率が高いか低いかが主な争点のはずです。なのに、最高裁事務総局が、事故が起こる確率は極めて低いと考えていると言ったことが、実際の裁判に影響を及ばした可能性はないでしょうか」
さらに、88年10月の会同では、最高裁事務総局は原発訴訟の審理について次のような見解も示した。「裁判所は、高度な専門技術的な知識のあるスタッフを持つ行政庁のした判断を一応尊重して審査にあたる態度をとるべきではないのか」
これでは、「原発で重大な事故が起こる確率は低いし、専門知識を持つ国の機関が審査しているのだから、裁判所は『原発は安全だ』という国の主張を認める方向でいいのではないか」と最高裁が”誘導”しているようなものだ。
前出の西川氏もこう指摘する。「会同で最高裁の示す見解には一定の『拘束力』があると裁判官は考えています。科学の粋を集めたとされる原発に関する専門的な知識は裁判官にありませんから、最高裁が会同で示す意見をよりどころに判決を出す裁判官がいたとしても不思議ではありません」
そのほうが裁判官にとって楽だし、人事などで不利益を受ける心配もない。そして、最高裁の意向に沿う、「原発は止めない」判決が出続けた……。
「2000年以前には、国側が負ける判決を書いた裁判官がその後、日の当たるポストにつけず、地方の裁判所に配属されるなど、人事上の不利益を受けたことは私も聞いています。原発のような国策は尊重しなければいけないという重しが裁判官の心の中にあったのかもしれません」(前出・海渡氏)
結局、このような最高裁の「統制体質」が一連の原発訴訟に表れ、原発推進という国の政策に司法がお墨付きを与えたと言われても仕方がない歴史が作られた……。では、その統制体質は今はないのか。
前出の井戸氏はこう語る。「裁判官の処遇の前提となる人事評価は依然としてブラックボックスです。裁判官本人が望めば評価に関する文書が開示されるようになったので、私も一度開示してもらったことがありますが、それは表面的なものでした。人事に直結する大事な情報は”その奥”に隠されているような気がしますから、裁判官が”お行儀よく”しておいたほうがいいと思ってしまうことはあるでしょう。でも、裁判官が独立した司法の役割を果たす条件は今は十分にあると考えています。自分の判決を上で取り消されることを裁判官は嫌がりますが、それでは裁判官として自分の手足を縛ることになる。上で取り消されることを恐れてはいけない」
裁判官が最高裁を意識せざるを得ない”雰囲気”は依然として残っているという。

判検事の天下り

赤字:原発訴訟に携わった経歴を持つ判事

1.原発メーカー&電力会社

<東芝>
  • 味村治(元最高裁判事(1994.2.6退官),2003.7.25死去)⇒(*1)東芝社外監査役(1998~2000.6月)
  • 筧榮一(元検事総長(1992.5.26退官),2013.5.15死去)⇒(*1)東芝社外監査役・取締役(2000.6月~2003.6.25)
    • 他に、三井生命保険監査役(1994.7月~?)にも就任している/1999.11.3 勲一等瑞宝章を受章
  • 清水湛(元広島高裁長官(1998.12.11依願退官))⇒(*1)東芝社外取締役(2003.6.25~2009.6.24)
    • 他に、内閣府情報公開審査会会長(2001.4月~2004.3月)、桐蔭横浜大学法科大学院教授(2004.4月~2008.3月)、東日本高速道路(株)監査役(2005.10.1~2010.6.28)、横浜銀行社外監査役(2008.6.24~現職)、東京証券取引所社外監査役(2011.6月~現職)にも就任している/2006.11.3 瑞宝大綬章を受章
  • 小杉丈夫(元釧路地裁・家裁判事補(1974.5月に弁護士登録&松尾法律事務所入所))⇒(*1)東芝社外取締役(2009.6.24~2014.6.25)
    • 他に、船員中央労働委員会公益委員(1999.4月~2008.9月)&同会長(2007.1月~2008.9月)、森ヒルズリート投資法人監督役員(2006.2月~現職)、国土交通省交通政策審議会委員(2009.3月~2011.3.12)、富士フィルムホールディングス社外監査役(2010.6月~現職)にも就任している
(*1:東芝社外監査役が2000.6月に味村治→筧榮一へ、東芝社外取締役が2003.6.25に筧榮一→清水湛へ、2009.6.24に清水湛→小杉丈夫へと、リレー式に継承されている事実が判明)
<東芝プラントシステム>
  • 長屋文裕(元最高裁判所調査官・法務省訟行政務課付検事(2009.3.31依願退官)→2009.6月 弁護士登録)⇒東芝プラントシステム社外監査役(2010.6.24~2015.6.25)
    • 「浜岡原発運転永久停止請求訴訟」の被告側(中部電力)訴訟代理人を務める
    • 「浜岡原発運転終了・廃止等請求訴訟」の被告側(中部電力)訴訟代理人を務める
    • 「島根原発3号機設置許可処分無効確認請求訴訟」の被告側(中国電力)訴訟代理人を務める
    • 「大間原発建設差止め等請求訴訟」の被告側(電源開発)訴訟代理人を務める
<三菱電機>
  • 上田操(元大審院判事)⇒三菱電機監査役(1949年~)
  • 田代有嗣(元東京高検検事(1979.4月退官))⇒(*2)三菱電機社外監査役(1994年~?)
    • 他に、日本大学法学部教授(1980.4月~1998.2月)にも就任している
  • 村山弘義(元東京高検検事長(1999.12.22依願免本官))⇒三菱電機社外監査役・社外取締役(2000.6月~2013.6.27)&三菱電機の株を21,000株所有(2012年時点)
    • 他に、リキッド・オーディオ・ジャパン顧問(2000.9.27~?)、うかい社外監査役(2001.6月~2010.6.24)、日本たばこ産業社外監査役(2003.6月~2009.6月)、スルガコーポレーション監査役(2008.6月~2009.11.27)、日本相撲協会外部理事(2008.6月~2012.1.31)にも就任している/2007.4.29 瑞宝重光章を受章
  • 大林宏(元検事総長(2010.12.27依願退官))⇒三菱電機社外取締役(2013.6.27~現職)
    • 他に、大和証券社外監査役(2011.4.1~現職)、アサツー ディ・ケイ社外取締役(2012.3.29~2014.3.28)、新日鐵住金社外監査役(2014.6.25~現職)、日本たばこ産業監査役(2015.3.20~現職)にも就任している
(*2:田代有嗣が三菱電機社外監査役に就任していたことを裏付ける一次情報は見当たらなかった)
<電力会社>
  • 野崎幸雄(元仙台高裁長官(1996.8.18退官))⇒北海道電力社外監査役(1998.6月~2012.6.27)&北海道電力の株を9,800株保有(2011年時点)
    • 他に、第一勧業銀行監査役(1997.6月~?)、みずほホールディングス監査役(2000.9月~?)、みずほコーポレート銀行監査役(2002.4月~2011.6.20)、みずほフィナンシャルグループ監査役(2003.1月~2011.6.21)、東京ドーム監査役(2005.4月~?)、みずほ銀行監査役(2006.3月~?)にも就任している/2001.11.3 勲二等旭日重光章を受章
  • 土肥孝治(元検事総長(1998.6.23退官))⇒関西電力社外監査役(2003.6月~現職)
    • 他に、小松製作所社外監査役(1999.6月~2009.6.24)、マツダ社外監査役(1999.6月~2007.6.26)、積水ハウス社外監査役(2002.4月~現職)、阪急阪神ホールディングス(旧阪急電鉄)監査役(2002.6月~現職)、カワセコンピュータサプライ社外監査役(2006.6月~2015.6.26)、アーバンコーポレイション社外取締役(2006.6月~2008.8.13)、関西テレビ取締役(2007.6.20~現職)、大阪産業大学理事長(2014.7.4~現職)にも就任している/2004.4 瑞宝大綬章を受章
  • 須藤正彦(元最高裁判事(2012.12.26退官))⇒東京電力社外取締役(2014.6.26~現職)
    • 2014.4.29 旭日大綬章を受章
  • 細川俊彦(元検事(1981.3月中途退官)→1981.4月 弁護士登録)⇒北陸電力社外監査役(2015.6.25~現職)
    • 他に、金沢大学法学部教授(2000~2004年)、金沢大学法科大学院教授(2004.4月~2011.3月)にも就任している

考察

上記リストのソースは、「週刊金曜日」2011年6月3日号&10月7日号に掲載された、ジャーナリスト三宅勝久氏のレポートである。(※長屋文裕、大林宏、須藤正彦、細川俊彦など、管理人の調査によって新たに判明した人物も追加した)
しかしながら、上記の面々のうち、実際に原発訴訟に携わった経歴があるのは、味村治氏だけであり、残りの12名は原発訴訟に関わっていない。また、味村氏の東芝社外取締役”天下り”にしても、天下り?|BLOGOSの検証に拠れば、「原発関係の訴訟に名を連ねた裁判官数十名のその後をかたっぱしから洗ってみたところたまたま一人4年後に原発企業に関係を持った人がいましたというだけのこと」の様だ。
更に、味村氏以外の12名について詳しく調べてみると、複数の大企業・団体の役員を引き受けており、原発メーカー・電力会社の重役はその中の一つでしかないというケースが多い。
以上の事実を考慮すると、原告(住民側)を敗訴させたことの”ご褒美”として、原発メーカーや電力会社が天下りの椅子を用意したというほど、露骨な話ではないと思われる。

2.大手法律事務所

【我が国の5大法律事務所】(※順位は2016年時点の在籍弁護士数による)
  • 1位:西村あさひ法律事務所(参照
  • 2位:アンダーソン・毛利・友常法律事務所(参照
  • 3位:TMI総合法律事務所(参照
  • 4位:森・濱田松本法律事務所(参照
  • 5位:長島・大野・常松法律事務所(参照

<西村あさひ法律事務所>
  • 福田博(元最高裁判事(2005.8.1退官))⇒2006年3月 顧問(オブカウンセル)就任
  • 鬼頭季郎(元東京高裁部総括判事(2005.9.22依願退官))⇒2008.11月~2015.12月 顧問就任
  • 園尾隆司(元東京高裁部総括判事(長官代行)(2014.11.19退官))⇒2014年12月 顧問(オブカウンセル)就任
  • 伊藤鉄男(元高松高検検事長・最高検次長検事(2010.12月退官))⇒2011年4月 顧問(オブカウンセル)就任
  • 佐藤勲平(元福岡地検検事正(1997.7月退官)→2009.1.5死去)⇒1997.8月 顧問(オブカウンセル)就任
<アンダーソン・毛利・友常法律事務所>
  • 河合伸一(元最高裁判事(2002.6.10退官))⇒2003.1月 顧問就任
  • 門口正人(元名古屋高裁長官(2010.12.31退官))⇒2011.3月 顧問就任
  • 加藤新太郎(元東京高裁部総括判事(民事長官代行)(2015.3.31依願退官))⇒2015.7月 顧問就任
<TMI総合法律事務所>
  • 才口千晴(元最高裁判事(2008.9.2退官))⇒2011.3.1 顧問就任
  • 泉徳治(元最高裁判事(2009.1.24退官))⇒2009.3月 顧問就任
  • 今井功(元最高裁判事(2009.12.26退官))⇒2010.4.1 顧問就任
  • 相良朋紀(元広島高裁長官(2010.2.21退官))⇒2010.4.1 顧問就任
  • 塚原朋一(元知財高裁所長(2010.8.21退官))⇒2010.9.10~2013.3月 顧問就任
  • 吉戒修一(元東京高裁長官(2013.7.7退官))⇒2013.9.2 顧問就任
  • 村上光鵄(元東京高裁部総括判事(長官代行)(2005.2.8退官))⇒2005.6月 客員弁護士就任
  • 塩月秀平(元知財高裁部総括判事(2013.9.12退官))⇒2013.12.1 顧問就任
  • 佐藤歳二(元横浜地裁所長(2001.4.1依願退官))⇒2015.4.1 顧問就任
  • 樋渡利秋(元検事総長(2010.6.17退官))⇒2010.9.1 顧問就任
  • 頃安健司(元大阪高検検事長(2004.6.25依願免本官))⇒2008.7月 顧問就任
  • 三谷紘(元公正取引委員会委員・横浜地検検事正(2002.6月退官))⇒2007.9.5~2014.12月 顧問就任
<森・濱田松本法律事務所>
  • 濱田邦夫(元最高裁判事(2006.5.23退官))⇒2006.6.1~2011.6月 客員弁護士就任
  • 難波孝一(元東京高裁部総括判事(2014.9.1退官))⇒2014.10.1 客員弁護士に就任
  • 但木敬一(元検事総長(2008.6.30退官))⇒2008.10.1 客員弁護士に就任
  • 北田幹直(元大阪高検検事長(2014.1.9退官))⇒ 2014.3月 客員弁護士に就任
<長島・大野・常松法律事務所>
  • 横田尤孝(元最高検次長検事(2007.10.2退官)・元最高裁判事(2014.10.2退官))⇒2015年 顧問再就任(※検事を退官して最高裁判事に就任するまでの2008.1.1~2009.12.31にかけて同事務所に所属し、顧問を務めていた)
  • 三村量一(元東京高裁判事(2009.7.31依願免本官))⇒2009.8.1 パートナー弁護士に就任
  • 岩村修二(元仙台高検検事長・名古屋高検検事長(2012.7.20退官)⇒2012.10.1 顧問就任

考察

大手法律事務所のホームページ等から、幹部判事・検事を退官した後に顧問等に天下った者をピックアップしたのが、上記リストである。
全部で27名見付かったが、このうち、原発訴訟に携わった経歴があるのは僅か5名しかいない(うち3名は元最高裁判事)。
まず、3名の元最高裁判事のうち、泉徳治と才口千晴は、もんじゅ訴訟の上告審で原告(住民側)敗訴の逆転判決を出した当事者だ。しかも、この裁判では、控訴審(名古屋高裁金沢支部)で史上初の原告(住民側)勝訴となる逆転判決が出ており、それを最高裁でもう一度ひっくり返した訳で、その罪は重い。通常の最高裁判事と違って、原告(住民側)敗訴に積極的に関与したと言っても過言ではないだろう。
それから、下級審の裁判長として関与したのが塚原朋一(「女川原発1・2号機建設・運転差止め請求訴訟」の一審)と鬼頭季郎(「福島第二原発3号機運転差止め請求訴訟」の控訴審)の2人である。但し、鬼頭季郎の福島第二原発3号機運転差止め請求訴訟については、一審で原告(住民側)敗訴の判決が出ており、その控訴を棄却したに過ぎないので、関与の度合いは低いと言えるかもしれない。
従って、上記のうち、原発訴訟で原告(住民側)敗訴に積極的に関与した者は、塚原朋一、泉徳治、才口千晴の3名ということになる。
しかしながら、原発訴訟の担当裁判官(一覧)を見ても分かる様に、原告(住民側)敗訴に積極的に関与した判事は相当数おり、その中で、大手法律事務所に天下った者が僅か3名とは、如何にも少ない。(但し、3名の天下り先が、揃ってTMI総合法律事務所である点には、留意する必要がある)
以上を踏まえると、原告(住民側)を敗訴させたことの”ご褒美”として、大手法律事務所の顧問の椅子が用意されたとは言い難いと思う。

3.その他

公証人

原発訴訟で原告(住民側)敗訴の判決を出した判事のうち、公証人に天下った事実が確認されたのは、岩田嘉彦(もんじゅ訴訟の一審)だけである。退官した幹部検事・判事にとって、公証人がおいしい天下り先であることを考慮すると、たったの1名というのは、何とも解せない。
因みに、公証人の人選を仕切っているのは法務省である。(※「公証人制度」に隠された利権構造(財界展望 5月号)の解説を参照)
つまり、法務省は、原発訴訟で原告(住民側)敗訴の判決を出した判事達に、退官後、「公証人」というご褒美を与えていない訳で、原発推進にはあまり熱心でない様にも見える。
しかし、その一方で、原発訴訟の国側代理人(訟務検事)を派遣しているのも、同じ法務省(訟務局)である。そして、この訟務検事どもは、国を勝たせるために詭弁の限りを尽し、卑劣な法廷戦術を採ることで悪名高い。それを考えれば、法務省は本来、原発推進派の一翼を担う省庁だった筈だ。
その法務省が何故、原発訴訟に関わった退職判事達に、公証人の椅子を提供しないのか?本当に謎である。

桐蔭横浜大学法科大学院(参照

退官した判検事の多くが、法科大学院教授や法学部教授に天下りしていることは、つとに知られた話である。
勿論、原発訴訟に携わった判事達の中にも教授に転身した者が数名いるのだが、その中で度々目にするのが、この桐蔭横浜大学法科大学院である(以下)。
  • 千種秀夫(「女川原発1・2号機建設・運転差止め請求訴訟」の最高裁判事)⇒2002年 桐蔭横浜大学特任教授→2004年 同法科大学院法務研究科長→2008年 桐蔭横浜大学名誉教授&同法科大学院名誉学院長に就任
  • 大喜多啓光(「柏崎刈羽原発1号機設置許可処分取消訴訟」の東京高裁裁判長)⇒桐蔭横浜大学法科大学院教授に就任(現職)
また、原発訴訟にこそ関わっていないが、原発メーカーの東芝に天下ったことで悪名高い清水湛も、この法科大学院の教授を一時期務めていた。
  • 清水湛(元広島高裁長官(1998.12.11依願退官))⇒2004.4月~2008.3月 桐蔭横浜大学法科大学院教授
特定の法科大学院に、原発と関わりの深い退官判事が3名も天下っているのは、誠に奇異な話である。
唯、この法科大学院の経営母体である桐蔭学園は、一学校法人に過ぎず、原発推進派と繋がりがあるとは考えにくい。
むしろ、考えられるのは、3人の元判事達の個人的な繋がりという可能性だ。そこで、千種秀夫、大喜多啓光、清水湛の経歴を改めて洗ってみると、面白いことが分かった。
まず、千種と清水だが、この2人は経歴が酷似しており、スタートこそ裁判官(判事補)だが、途中で法務省民事局に出向していたという共通点がある。具体的には、千種は、1975~1977年に法務省民事局第一課長、1986~1987年に法務省民事局長を務めている。一方、清水は、1962.9.15~1984.8.31の12年間にわたって法務省民事局に在籍した上に、1990.3.5~1993.7.1に法務省民事局長を務めている。従って、千種と清水の間に、何らかの面識があったと考えるのが妥当だろう。
また、千種については、1974~1975年に東京法務局訟務部長を務めており、この組織は法務省訟務局の下部組織である。一方、大喜多も、時期は不明だが、人事交流で法務省に4年間出向し、訟務検事として働いた経歴の持ち主であることが判明している。つまり、両者共に、法務省の訟務検事を務めていた時期がある訳で、やはり、何らかの面識があった可能性が考えられる。
ここからは飽くまで推測だが、最初に桐蔭横浜大学法科大学院に天下った千種が、教授を集める過程で、過去に繋がりのあった清水、大喜多に声を掛けたという線は考えられないだろうか?
もし、この仮説が当たっているとすると、裁判所内の原発推進派判事には、ヨコの繋がりがあり、ある種の派閥を形成しているということになる。なんだか、気色の悪い話である。

内閣府情報公開・個人情報保護審査会(参照

退官した幹部判事・検事の「その後」を調べると、国の諮問機関の委員に登用されているケースが散見される。
その中でも、原発訴訟に携わった判事が複数登用されていて、度々目にするのが、この「内閣府情報公開・個人情報保護審査会」である(以下)。
  • 鬼頭季郎(福島第二原発3号機運転差止め請求訴訟の東京高裁裁判長(2005.9.22 依願退官))⇒2005.10月~2007.4月 内閣府情報公開・個人情報保護審査会常勤委員→2007.4月~2008.10月 同会長
  • 大喜多啓光(柏崎刈羽原発1号機設置許可処分取消訴訟の東京高裁裁判長(2007.3.23 定年退官))⇒2007.3.29 第166回国会(衆議院本会議)において、大喜多を内閣府情報公開・個人情報保護審査会委員に任命することについての同意を求める採決がなされ、多数で議決される(任期:2007.4.1~2010.3.31)
更に驚かされるのは、鬼頭、大喜多共に、退官してすぐに委員に任命されている点である。2005.9.22に依願退官した鬼頭は、退官の僅か9日後に委員に就任している。また、2007.3.23に定年退官した大喜多についても、退官の僅か6日後には、国会で任命の議決が行われている。
こうなると、退官前の段階で、内閣府から任命の内定をもらっていたとしか考えられない。つまり、退官判事を委員に任命する”既定コース”が存在している訳で、典型的な天下り以外の何物でもないだろう。
また、以上2人の他にも、原発訴訟にこそ関わっていないが、原発メーカーの東芝に天下ったことで悪名高い清水湛も、内閣府情報公開審査会会長に就任している。
  • 清水湛(元広島高裁長官(1998.12.11依願退官))⇒2001.4月~2004.3月 内閣府情報公開審査会会長
因みに、「内閣府情報公開審査会」は2005.3月末に廃止され、個人情報保護案件の審査業務も加えた後継組織として新設されたのが「内閣府情報公開・個人情報保護審査会」という関係にある。つまり、扱う案件の範囲と組織の拡大に伴って、同一の審査会の名称が変更されたものに過ぎず、実質的には同じ組織である。(参照
この審査会には、原発に関わりの深い退官判事だけではなく、多くの退官判検事が任命されているので、原発推進派の息がかかった機関とまでは言えないかもしれない。しかし、少なくとも、退官判検事達の主要な天下り先であることだけは間違いない。
因みに、現在の委員15名(常勤5名)のうち、判検事を退官して就任した者は以下の4名(いずれも常勤)である。(参照
  • 大野市太郎(元大阪高裁長官(2011.5.10退官))⇒2013.4.1 委員就任(会長兼第1部会長(常勤))
  • 鈴木健太(元東京高裁部総括判事(2013.7.26退官))⇒2014.10.1 委員就任(会長代理兼第4部会長(常勤))
  • 遠藤みどり(元東京高検検事(2010.3.30退官))⇒2010.4.1 委員就任(第2部会長(常勤))
  • 南野聡(元最高検検事(2014.3.31退官))⇒2014.4.1 委員就任(第5部会長(常勤))
しかも、退官検事の遠藤、南野両名については、退官してすぐに委員に就任していることから、天下りの”既定コース”となっていることは明らかだ。この審査会、名称こそ立派だが、内実は、退官判検事のために用意された”腐れ天下り機関”である。

ソース

【原発訴訟で原告(住民側)が敗訴する原因】
【判検事の天下り】

  • 最終更新:2016-04-19 10:44:03

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